2016年12月22日木曜日

何かをしないという愛情

クレヨン牧師のミニエッセイ
「何かをしないという愛情」
 
 あるとき教区の教職退修会が行われました。牧師たちが集まり、いままで与えられた課題について話し合いがなされました。
 
 現在の牧師たちの課題とは何だと思いますか。宣教の具体的方法についてだと思われますか。いいえそうではありません。課題としてあげられているのは、「子供とともなる礼拝式」「信徒説教者の問題」「死と葬儀」「平和・人権・正義」です。その中でも、あれも課題、これも課題、それも課題と課題をたくさんだしあった会でした。
 
 このような会にでて思うことは、自分は思考方の牧師ではないなということです。すぐ考えもせず行動する牧師だと思うのです。こんなに多くの課題を、これからあれもこれもしていくのでしょうか。もっと大切な「たった一つのこと」がないだろうかと思うのです。牧師として「これのみ」を探したいと願っています。
 
 休憩時間に本を読んでいますと次のようなことが書いてありました。「これからの親は『何かをする』とかに対してではなく、むしろ『何かをしない』という愛情のために心のエルルギーを使うべきである」。なるほど、なるほどと思いながら、何もしないでいることができないのが牧師です。いや、なにも議論しないではいられないのが・・・。