2015年9月8日火曜日


 
出水市「ばんぶー」のあじさい                                          小山 茂 
 六月中旬に出水市で、雨空の中どこに行けばいいか迷っていたら、東山ご夫妻に地元を案内してもらいました。小高い丘にある「ばんぶー」という家庭料理店の庭、その紫陽花(あじさい)が見頃で解放されていました。
 
 
 傾斜地に植えられた紫陽花は、竹林を背景にして、前に出水市街が広がります。遠くには鶴の飛来地の田畑が見え、北側に不知火海まで臨めます。雲が低く垂れこめていましたが、待っていると切れてきました。やはり、梅雨の季節に一番元気なのは、紫陽花です。ガクアジサイにこんなに種類が多くあるとは知りませんでした。その折に撮影しました写真を載せましたのでご覧ください。 

 以前は尻無浜紀美子姉が西出水の老人ホームにいらっしゃった頃、毎月この地を訪れていました。姉妹が天に召されてから、あまりこの地域に足を伸ばすことが無くなりました。ですから、久しぶりで出水を訪れました。
 
 




 

   「冠岳周辺は桃源郷かもしれません。」              小山 茂

 いちき串木野市に「冠岳歴史自然の里」があります。この麓を何度も車で通って、川にかかる木製の橋を写真に撮り月報に載せたことがありました。薩摩川内北中学にギデオン聖書贈呈を早朝終えた帰り、冠岳を山歩きしたいと思って寄りました。予想以上に広く豊かな自然に驚き、その一部を散策するだけで終わりました。串木野ダム・冠岳花川砂防公園、冠岳展望公園だけを見て、山歩きは次の機会に取っておくことにします。

 冠岳と呼ばれる由来があります。「東海に蓬莱の島あり、その神仙から不老不死の霊薬を求めよ。」今から約2200年前、中国の秦の始皇帝から命を受けた方士(神仙道の使い手で、不老不死の研究家)徐福は、串木野の冠岳を訪れ、その景色の素晴らしさに、自らの冠を解いて頂上に捧げたそうです。そのことから、この地を冠岳と呼ぶようになったとの説があります。徐福伝説は鹿児島県串木野市を始めとして、佐賀県佐賀市・三重県熊野市・和歌山県新宮市・山梨県富士吉田市など、日本各地にあります。《いちき串木野市のパンフレットから一部引用》
 
 訪れた「(かん)(がく)(えん)」と呼ばれる中国庭園は、独特な中国の雰囲気を漂わせる見事なものでした。建物の屋根の先端の瓦は跳ね上がり、橋にはふんだんに彫刻が施され、池には大きな鯉が泳、中国風の趣に溢れていました。八角形の建物の中には書や家具や刺繍絵など、国内では見られないものでした。平成44月に徐福の故郷中国との友好交流の願いを込めて、中国の専門家のアドバイスを受けて造られたそうです。庭園の様式は「自然式山水庭園」で、明や清の時代に多く造られた中国庭園のメッカである蘇州近傍の庭園の形をモデルとしているそうです。
 
 庭の掃除をされていた方から聞きますと、その下に「花川砂防公園」も造られ、竹下内閣のふるさと創生事業の一億円がその整備に使われたそうです。公園の中にあるトイレの立派なのには驚きました。白を基調として外の空間を取り入れ、開放的な気持ち良さに長居をしそうでした。私が体験したトイレの中で、最も素晴らしいものでした。平日の昼間に訪れたのに、私の他に親子連れがひと組いただけでした。皆さん是非この地域を一度訪れてみませんか。森林浴に、ハイキングに、近くに「冠岳温泉」、産直野菜の販売、うどん屋さん、カフェもあります。私もリピーターになりたいと思っています。
 
 
冠嶽園の中庭

蓮苑とハスの花

花川砂防公園のせせらぎ水路
 
徐福像

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

  

「さあ、朝食を摂りなさい。」     ヨハネ福音書21:1~14 小山 茂 
 
《復活を信じるか》
 主イエスが復活されたことを、あなたは信じられますか?それはキリスト者にとって、大きな問いかけです。その問いかけの中にあって、私たちの信仰は順風の時があれば、逆風の時もあります。今朝の福音書は、かつての弟子たちが、自分たちの信仰が揺さぶられ、意気消沈した時どうしたのか、そのことが聖書に記されています。筆頭弟子のペトロが登場して、いかにも彼らしい驚きや慌てぶりの中、本人は一生懸命になっているのに、傍からはどこかユーモラスに見えます。私たちの復活信仰に、弟子たちの姿を通して、今一度向き合って参りましょう。

 主イエスの復活を信じることが、弟子たちに確かになるまで、まだ時間が必要でした。頭で考えても分からないからです。この世の知恵や常識を総動員しても、分からないからです。復活されたイエスを、私たちも素直に信じられない、それが当たり前なのかもしれません。弟子たちが右往左往する様子からも、うかがい知ることができます。復活されたイエスは何度も弟子たちに現れ、彼らを力づけ励まされます。彼らは迷いながら、疑いながら、一歩また一歩少しずつ進みます。時には一歩前進、二歩後退かも知れません。復活されたイエスが繰り返し現れなければ、弟子たちは信仰を投げ出してしまったでしょう。主イエスもご自分を信じる者が、一人も滅びることなく、永遠の命を得られるよう、諦めず最後まで導かれます。 

《復活されたイエス》
 今朝の福音書に入って参りましょう。ヨハネ福音書21章は、後から書き加えられた付録です。おまけだから、意味がないという訳ではありません。聖書の正典として認められ、今朝の箇所からも福音が語られています。復活されたイエスは、ティベリアス湖畔で、弟子たちに姿を現されます。ティベリアスと言うと、どこか馴染みのない地名ですが、ガリラヤ湖の西岸にあり、皇帝ティベリアスに因んで付けられた町の名です。ガリラヤの首都であり、湖もその名で呼ばれましたが、ユダヤ人たちローマへの配慮を嫌らいました。聖書の中に「ティベリアス」と記されているのは、ヨハネ福音書に三度だけです。ですから、ティベリアス湖をガリラヤ湖と読み換えて、馴染んだ地名を用いても構わないでしょう。

 主イエスが十字架につけられた時、弟子たちはこの方から散らされていました。「あなたがたが散らされて自分の家に帰ってしまい、わたしをひとりきりにする時が来る」《16:32》と主から言われた通りになりました。復活されたイエスが、弟子たちに現れたのは、今回で三度目です。最初にマグダラのマリアに現れましたが、彼女を主イエスの弟子として回数に加えたかどうか分かりません。直弟子に現れたといえる一度目は、ユダヤ人たちを恐れて、彼らは家に引きこもり鍵をかけていました。主イエスは彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われました。二度目は主の傷跡を確認しなければ信じない、と言い切ったトマスに現れ、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と言われました。そして、今朝の福音が三度目で、ガリラヤ湖畔に復活されたお姿を弟子7名に現されます。 

 ガリラヤ湖に、ペトロ・トマス・ナタナエル・ゼベダイの子たち二人、他に二人の弟子の計七名がいます。共観福音書によると、かつて漁師であったペトロは、この時何をしていたのでしょうか。もしかすると宣教するのを諦めて、以前していた漁師に戻ろうと思ったのかもしれません。ペトロは、「わたしは漁に行く」と言いますと、他の6名も「わたしたちも一緒に行こう」と同調します。彼らは舟に乗り込んで、湖に一晩中網を打ちましたが、何の収穫もありません。夜が明けて来て、岸に復活されたイエスが立っておられます。でも、彼らはその方がどなたか分かりません。信仰の目で見てはじめて、見えてくるものがあります。それだけ彼らの信仰が、揺れていたのではないでしょうか。 

《朝食を摂りなさい》
 復活されたイエスが尋ねます、「子たちよ、何か食べる物があるか。」彼らから「ありません」と返されます。すると主が言われます、「舟の右に網を打ちなさい。そうすれば獲れるはずだ。」言われた通りにすると、余りにも多くの魚が網にかかり、もはや引き上げることができません。その時です、愛弟子がペトロに「主だ!」と叫びます。ペトロはその声を聞くやいなや、復活のイエスの許に直ぐに行きたい、という衝動にかられます。死んでしまったと思っていた主イエスが、生きておられるのですから、無理もありません。裸同然であった彼は、律儀にも上着を引き被って、湖に飛び込みます。思い立ったら直ぐ行動する、いかにもペトロらしい姿ではありませんか。 

 舟に獲物を引き上げられず、90mほど網を引いて岸まで戻ります。一晩漁をしていた彼らは疲れていますが、最後に漁獲がありホッとしています。岸に上がると炭火が起してあり、魚とパンが乗せてあります。香ばしい匂いさえしてきます。この季節のガリラヤ湖の朝はかなり冷えています。暖かい食べ物は、冷えた体に何よりの御馳走です。その炭火にあたって、彼らは体を暖めたかもしれません。復活されたイエスが言われます、「今獲った魚を何匹か持ってきなさい。」さっそくペトロが舟に乗りこんで、網を陸に引き揚げます。この作業をペトロが独りで行ったのでしょうか?彼らが引き上げようとして、できずに舟で岸まで引いて来た網です。大きな魚が153匹も網にかかっていましたから、重たいのは当然でしたが、網は破れていませんでした。 

 主イエスは彼らを招かれます、「さあ、朝食を摂りなさい。」彼らは本当に嬉しかったでしょうね。主イエスが生きておられる、そして自分たちに朝食を用意され、迎えてくださるのですから。彼らは自分たちが手伝った、あの五千人の給食を思い起こしたことでしょう。亭主のイエスが、客人の群衆に心からの食事を提供する、それは「究極のおもてなし」でした。その時と同じように、主イエスが自らの手で、彼らにしてくださったのです。主イエスが「来て、パンを取って弟子たちに与えられ、魚も同じように」与えられます。魚とぶどう酒の違いはありますが、どこか聖餐の設定の言葉に似ています。弟子たちは主イエスと共にした、最後の晩餐を思い起こしたことでしょう。パンと魚をどうぞと差し出されたことによって、主イエスと弟子たちのわだかまりが解かれました。彼らは逃げ出した後ろめたさから、主イエスに顔向けができなかったからです。 

《朝食を摂りなさい》
 夜通しの漁をした直後なので、弟子たちは空腹であり、体は冷えて疲れていました。ですから、「さあ、朝食を摂りなさい」という招きの言葉が、彼らにどれほど心と体に沁み渡ったことでしょう。主イエスとの再会を果たしたことから、彼らがこのお方から逃げた罪は赦され、宣教へと再び派遣されます。主イエスと共に摂る食事を通して、彼らの共同体が再び形成されました。復活信仰の始まりは、主イエスの方から、弟子たちに、私たちにも働きかけてくださいます。 

 森野善衛門師がそれを、このように言われます。「信仰とは、まず私たちが努力をして、主を喜ばせ、主のために食卓を用意することではなく、それに先だって、主が私たちのためにパンと魚とを用意して招いてくださる。その招きに応じることから始められるのです。」私たちが信仰するというより、主が信仰を与えられるチャンスをくれます。私たちに求められることは、その招きに素直に応じることだけです。
 
 今日の阿久根での礼拝は、この後に聖餐式があります。主イエスの体であるパンとその血であるブドウ酒をいただきます。復活されたイエスは、弟子たちだけでなく、私たちも招かれます。「さあ、朝食を摂りなさい。」そして、主イエスは来て、パンを取り感謝の祈りを唱えて、私たちに与えられます。また、ぶどう酒も同じようにして、私たちに与えられます。そのようにして、私たちは阿久根教会、鹿児島教会において、聖卓に集う交わりから、教会共同体に迎え入れられます。私たちが疲れ果てた時こそ、復活のイエスから『さあ、朝食を摂りなさい』と招かれています。あなたは素直に、その招きに応じるだけでいいのです。

2015年6月2日火曜日


「藤川天神の臥竜梅」                              小山 茂 

 春が来たと感じられるのは、やはり梅の花と香りが一番です。この季節になると、薩摩川内の「臥竜梅」がしばしばTVや新聞に取り上げられます。臥竜梅とは竜が地面を這うような枝ぶりから、つけられた名前です。菅原道真が密かにこの地に逃れて、手植えされた株が増えて梅林となったと伝えられています。TVニュースで地元の小学生たちが、梅林を訪れて俳句を詠む様子を見ました。一度訪れてみたいと思っていたので、35日に鹿児島市から車で1時間余り走りました。近付くにつれあちらこちらに、梅の花をつけた木々を見ることができました。 

 平日の昼に地元の方々が大勢訪れて、観梅を楽しんでいました。参道を進むと覆うように咲く河津桜の枝に、メジロが蜜を吸いに多数群れていました。カメラを構えるのですが、その動きの素早さについていけません。それでも下手な鉄砲数撃てば当たるで、その姿を何枚か捉えることができました。最終頁にある右側上から2枚と左側上の写真は河津桜で、その他の写真は梅です。境内に地元の名産を売っている出店があり、大宰府の天満宮で有名な、「梅が枝餅」を売る店もありました。試しにひとつ食べたところ、餅の食感とあんこの程良い甘みでした。 

 また、珍しい犬の銅像を境内に見つけました。西郷隆盛の愛犬「ツンの銅像」が、神社参道の脇にありました。東京の上野公園に、犬を連れた西郷隆盛の銅像があります。西南戦争で賊軍の将である西郷隆盛の銅像を作るにあたり、軍服ではなく浴衣姿に犬を連れた姿ならと配慮されたものだそうです。西郷隆盛が藤川天神を参拝した折、東郷町藤川の前田善兵衛が飼っていた、うさぎ狩りのうまい猟犬「ツン」を見つけました。西郷どんが望んだので献上された犬を喜ばれ、金二十貫を与えたそうです。NHK大河ドラマ「翔ぶが如く」の放映を機に、平成2年に作られた銅像で、鹿児島在住の文化勲章作家中村晋也氏によるものです。

 



河津桜に蜜を吸うメジロ
 

ツンの銅像〔中村晋也氏作〕




四旬節第3主日 「私が生贄になる」 
          ヨハネ福音書2:13~22   小山 茂

《宮清めはしるし》
 今朝の福音の日課の小見出しは、「神殿から商人を追い出す」です。短くして「宮清」とも言われて、すべての福音書に記されている物語です。しかし、共観福音書のマタイ・マルコ・ルカとヨハネ福音書とでは、記者の伝える順序が違っています。共観福音書ではエルサレム入城の直ぐ後に、「宮清め」が受難物語の最初に置かれています。その直後にマタイは21章で、マルコは11章で、ルカは19章でユダヤ教の指導者たちが主イエスのされた「宮清め」を見聞して、主イエスを殺そうと相談し始めます。
 
 しかし、ヨハネ福音書では最初のしるし「カナの婚礼」の直ぐ後に、主イエスが宣教活動を開始されたその最初に「宮清め」が置かれています。主イエスが自ら生贄になることによって、動物の生贄が必要なくなり、神殿が主イエスの体に置き換えられます。そして主イエスの死と復活が、神殿礼拝の終わりを告げます。 
《イエスの過激さ》
 ユダヤ人の巡礼者たちが、大勢エルサレムに詣でる祭りが近づいています。神殿の礼拝に集まる人々は、遠くから旅行をしてエルサレムに来ます。ですから、動物を連れてくることができず、神殿の礼拝のためにエルサレムで生贄の動物を買い求めます。また、神殿に納めるお金はギリシアやローマの貨幣ではできません。コインには皇帝の顔が刻まれているからです。それゆえ、律法に適った地元のユダヤ貨幣に両替する必要があります。神殿で祭りの礼拝儀式を行うため、動物の売買と両替は必要不可欠な仕組みでした。神殿当局はその商売を容認し、場所を提供して利益を得ていたようです。 
 主イエス一行も過越祭に、エルサレム神殿に上って行かれます。異邦人の庭と呼ばれる外の前庭で、動物を売っている商人、両替商が店を出しています。すると、主イエスは持っていた縄で鞭を作り、生贄(いけにえ)の羊や牛などを全て境内から追い出します。また両替商の金銭をまき散らし、その台をひっくり返します。そして、家畜を買えない貧しい人々に、鳩を売る業者に言われます、「これらをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家にしてはならない。」主イエスの激しい行動と厳しい言葉に、躊躇される様子が全くうかがえません。私たちが抱いている主イエスの優しさは、どこに行ってしまったのでしょうか。
 ヨハネ福音書の主イエスは宣教を始めたばかりで、人々はこの方が海の物とも山の物とも未だ分かりません。三十歳位の男性が突然現れて、境内にいる商人や両替商の商いを邪魔しました。弟子たちはその様子を見て、ある詩篇を思い出します。「あなたの神殿に対する熱情が、わたしを食い尽しているので、あなたを嘲(あざけ)る者の嘲りが、わたしの上にふりかかっています。」《詩篇69:10》弟子たちはその詩篇を、「あなたの家を思う熱意がわたしを食い尽す」と要約します。主イエスの神殿に対する熱意が、ご自分を死に追いやると語られ、十字架にかけられることを預言するものです。旧約における神の熱情は、イスラエルの民を愛するあまり、妬(ねた)むほどになられました。弟子たちはこの時、はっきりと分かりませんが、復活された後になって詩篇の言葉から確信します。 
《建てる≠甦る》
 当時の神殿礼拝のため容認されてきた慣行である、生贄動物の販売・他国通貨への両替を、主イエスは廃止しようとされます。神殿で商売する仕組みを、厳しく攻撃されます。旧約のエレミヤ書にも同様なコメントがあります。「わたしの名によって呼ばれるこの神殿は、お前たちの目に強盗の巣窟と見えるのか。そのとおり。わたしもそう見える、と主は言われる。」《7:11》強盗の巣窟と譬(たと)えられている、ユダヤ人商人と神殿とのもたれ合いは、神の家である神殿を辱(はずか)しめています。主イエスは神殿の権威と礼拝そのものに対して、激しい挑戦状を突きつけます。
 ユダヤ人たちは、主イエスに「宮清め」の根拠を求めます。「あなたは、こんなことをするからには、どんなしるしをわたしたちに見せるつもりか?」主イエスがされた「宮清め」は、受難のしるしなのですが、彼らに未だ分かりません。神殿で行われていた犠牲を献げることは、主イエスの十字架の死という犠牲にとって代わられるからです。さらに、主イエスはユダヤ人たちに過激に言われます、「この神殿を壊してみよ。三日で建て直してみせる。」神殿という言葉の理解が、ユダヤ人たちと主イエスでは全く異なっています。

 その建て直すと訳された元のギリシア語の動詞は、「建てる」と「立ち上がらせる」の二つの意味をもちます。ユダヤ人たちは建物である神殿を建て直すと理解したのです。しかし、主イエスは自らが甦る、つまり復活されると言われたのです。それゆえ、福音書の記者は語ります、「イエスの言われる神殿とは、ご自分の体のことだったのである。」その神殿は西暦70年にエルサレム陥落の時、ローマ軍により取り壊されました、その後再建
されることはありませんでした。
《しるしを求める信仰》
 ヨハネ福音書には、主イエスがしるしを示される場面が、しばしば登場します。しるしには、どんな意味があるのでしょうか。主イエスがメシアであると分かるための奇跡、自らの栄光を示される奇跡、神の子であると明かされる啓示、などがあります。今朝の福音でユダヤ人たちは、主イエスが過激な行動をとられた、その明らかなしるしを求めました。「宮清め」をされた納得できる理由を、自分たちに説明して欲しかったのです。最近よく不正をしたのではないかと疑われた人が、自らしたことが正当であると釈明することを、「説明責任」を果たすと言われます。まさに、主イエスは前代未聞の「宮清め」をされた、その説明責任をユダヤ人から求められました。 


 しるしを求める信仰は、しるしを見つけるなら信仰します、となってしまう恐れがあります。その反対に、しるしが見つからないなら信じないのです。信じるか信じないかは、しるしがあるかないかにかかってきます。弟子たちの中にも、後に主イエスにしるしを求めたトマスがいます。彼は復活されたイエスに会いますが、お体に釘の跡や、わき腹に槍の跡を見なければ、決して信じられないと言います。主イエスはトマスに、ご自分の体
触れて確かめることを許されます。そして、トマスは信仰を告白します、「わたしの主、わたしの神よ。」主イエスは彼に言われます、「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」《20:29》しるしを求める信仰は、しるしに向かう信仰です。ですから、しるしについて主イエスは、「説明責任」をユダヤ人たちにされず、誤解を生む結果になりました。 
 それでも、人々は主イエスがメシアである、そのしるしを見つけようとします。証拠が見つかるなら、信じるかどうか迷ったり、悩んだりすることはありません。また、私たちも主イエスが神と同様のお方である、その資格証明を見せてください、と求めたい誘惑にかられます。それは、自らが信じ切れないことの裏返しかもしれません。主イエスはしるしを見たから信じる、そんな信仰を少しも信用されません。
 
《私が生贄になる》
 主イエスが神殿の境内で生贄の商売を邪魔されたのは、ご自身が生贄になられて、動物の生贄はもはや必要がなくなるからです。主イエスの十字架が、その成就される時にそうなります。父の家である神殿で商売をして、神殿当局と商人が相互に利益を上げる仕組みに、我慢がならなかったのです。その怒りの言葉が、「わたしの父の家を、商売の家にしてはならない」だったのです。実は弟子たちは主イエスのそのお言葉を聞いた時、その意味を正しく理解できていなかったようです。それゆえ、福音書記者ヨハネが語ります、「イエスが死者の中から復活されたとき、弟子たちは、イエスがこう言われたのを思い出し、聖書とイエスの語られた言葉とを信じた。」主イエスが自ら生贄となられた大きな恵みに、 心から感謝しながら、レント(四旬節)を過ごし、御後を歩んで参りましょう。

2015年4月14日火曜日


主の洗礼日 説教 2015111  「あなたは私の愛する子」          小山 茂

        イザヤ書42:17 マルコ福音書1:911
                                                    
《洗礼を受けるイエス》
 主イエスが洗礼を受けられる物語は、共観福音書のマタイ・マルコ・ルカに記されています。マルコでは、天が裂けて聖霊が鳩のように降ってくるのを目にするのも、天の声を聞くのも主イエスだけにできたと読めます。新共同訳に「天が裂けて、“霊”が鳩のように御自分に降ってくるのを、ご覧になった」とあります。「御自分に」と訳されている言葉を、ギリシア語本文から直訳するなら「彼の上に」となります。ヨハネから洗礼を受けるために来た人々には、鳩のような聖霊と天の声は隠されていたのです。父なる神と子なるイエスの間で、聖霊と力による洗礼がイエスを油注がれた者(つまり王)としたのです。

 ヨハネの洗礼は、「罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼」です。本来罪の赦しを必要としないお方イエスが、罪の赦しを得させる悔い改めの洗礼を受けられます。洗礼を受けた多くの人々と一緒に、主イエスが罪人たちの中に御自身を置かれるためです。それによって、罪の赦しを必要とする人々と、主イエスが同じ場におられます。このように私たちは洗礼によって、主イエスと結ばれているのです。

 「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という天の声は、旧約における預言に基づいています。そのひとつは詩編27「主はわたしに告げられた。『お前はわたしの子、今日、わたしはお前を生んだ。』」それは即位する王に対する、神からの声です。もうひとつは今朝の初めの日課イザヤ421「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。」「神の僕」とされる主イエスが、諸国の民のため地上の真理を明らかにする者として任命されました。その御声は父と子の間柄において、人々に秘密裏のうちに送られたものです。受洗された主イエスがどなたなのか、周りの人々は全く気づかなかったことでしょう。 

《ヨハネが授ける洗礼》
 洗礼者ヨハネは、主イエスに洗礼を授ける前こう言いました。「わたしより優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打もない。わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」《178ですから、主イエスこそが洗礼を授けるのに相応しいお方であって、ヨハネが主イエスに洗礼を授けることに戸惑ったのでしょう。でも、マルコ福音書はそのことについてひと言も触れていません。主イエスの洗礼は私たちと同じ罪人の一人となって、この世に来られるため必要なことでした。神と等しいお方がヨハネから洗礼を受けて、私たちと同じ罪人の一人にあえて身を置かれました。 

 主イエスが受けたもうひとつの洗礼によっても、罪人の一人となることが明らかにされます。ゼベダイの子ヤコブとヨハネが、主イエスにこのように願い出ます。「栄光をお受けになる時、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」主イエスは二人に問われます。「あなたがたは、自分が何をねがっているのか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」《1038この洗礼とは、十字架上での死を指しています。ヨルダン川で洗礼を受けられ、罪の赦しを願う人々と共におられるためです。そして、主イエスはご自分の身を献げられ、人々の罪を負って、十字架への道を歩み出されます。 

《教籍簿に記される》
 洗礼を受けた人の名が、教籍簿に列記されています。言ってみれば教会員の戸籍、キリスト者の名簿です。信仰告白をして、洗礼を受けて、イエス・キリストの子とされた方々です。ここに鹿児島教会と阿久根教会の教籍簿があります。最近記入された記録は、尾原守人兄の1228日の受洗です。松本誠義兄の堅信礼も14日付けで記載が済んでいます。 

 鹿児島に赴任して、何度も両教会の教籍簿を見てきました。最初は多くの方の名前とお顔が結びつきませんでした。何度も見ていると教会の群れが見えてきました。その記載内容は、お名前・生年月日から始まり、受洗年月日、牧師・教保など、結婚されると配偶者、当時の住所や職業など、個人史も載っています。その方の地上での生涯が、教籍簿の中に見えてきます。また、阿久根と鹿児島の両方に記載されている方もいます。 

 先日天に召された松本裕子姉は、初めに鹿児島教会に記録があります。19831030日に落合成光先生より洗礼を受け、1988327日に落合先生の司式で大策兄と結婚され、198841日に阿久根教会へ転籍されました。また、松本大策兄は、19791223日に水俣教会で野田藤男先生より洗礼を受け、198533日に鹿児島教会へ転入され、198841日に阿久根教会に転籍されました。また、東山義夫兄は鹿児島教会で19631222日に佐藤邦宏先生より洗礼を受け《教保は森田武久兄》、1965128日に阿久根教会に転籍されています。 

 教籍簿と言うと、旧約聖書にある「命の書」を想い起します。ダニエル書に次のように記されています。「その時、大天使長ミカエルが立つ。・・・その時まで、苦難が続く・・・しかし、その時には救われるであろう。お前の民、あの書に記された人々は。」《121命の書に記されて、神の民に加えられ、永遠の生命が約束されます。新約聖書においては、信仰告白をして洗礼を受け、教籍簿に記載されて神の子とされるのです。 

《キリストを着る》
 私たちは洗礼を受けて、正式に主イエスの仲間とされます。そして、主イエスは、求道者の方も洗礼へと招いておられます。私の好きな聖句に、ガラテヤ書32627がありますが、まさに洗礼に与かった者へのメッセージに聞こえます。「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。洗礼を受けてキリストに結ばれたあなたがたは皆、キリストを着ているからです。」洗礼により、私たちはキリストに属する者とされ、キリストを「着ている」者にされます。信仰を与えられた者が、洗礼を受けるのであって、信仰と洗礼は表裏一体です。バプテスト教会の洗礼は、全身を水の中に浸します。信仰者が水の中に沈んだ時、まるで自分たちの衣服を脱ぎ、再び水から上がった時、新たな衣服を着ているようです。新たに着せられたものが、キリストの上着です。キリストが私たちの内に留まってくださるのです。洗礼を受けた者はキリストを身にまとい、キリストから促される生き方へ方向を転換されます。 

 キリストを着るとは、ゴルフコンペの優勝者がクラブから送られる、ジャケットに袖を通す、勝者を称えるイメージに重なります。グリーン・ジャケット(緑の上着)は、アメリカのマスターズゴルフトーナメントで優勝した選手に贈られる緑色のジャケットです。そのゴルフクラブの会員のみが着用できるジャケットとして知られ、そのトーナメントを優勝した者には名誉会員の称号が与えられ、会員の証であるグリーンジャケットも与えられます。優勝者は受け取ったその場でグリーンジャケットに袖を通し、ゴルフクラブのメンバーとして、その大会に毎年招かれる権利が与えられます。そのゴルフクラブという共同体は、キリスト者の群れのようではありませんか。トーナメント優勝者のグリーンジャケットより、主イエスのジャケットの方がキリスト者にとって、遥かに価値あるものです。なぜなら、御国に招かれて着続けられる上着だからです。教会員には、主イエスを着ることが許されているからです。 

 洗礼を受けた時、主イエスは天からの声を聞きました、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者。」それは、初めの日課である旧約イザヤ421の成就となります。それは「主の僕の歌」と呼ばれ、次のように歌われます。「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。」その彼こそが喜び迎える者であり、新約のイエス・キリストの出現を預言したものと言えるでしょう。さらに、イザヤ6319でも神の介入を求めます、「どうか、天を裂いて降ってください。御前に山々が揺れ動くように。」天を裂いて届けられる、聖霊の降下を私たちは請い求めます。そして、私たちもあなたの愛する子の一人として加えてください。