2018年2月24日土曜日

九州の牧師たち

ルーテル教会九州地域教師会メンバー
この牧師たちで九州の宣教を担っています。
よろしくお願いします。

2018年2月23日金曜日

きままな休日・山江の栗ようかん

26904445_10211433099164627_6282807908422229940_n   九州自動車道の山江SAでみつけました。栗ようかん。
   ここは栗の産地ですので、栗です。栗が入っているのではなく栗の羊羹です。
   なかなか美味しいですよ。これを切らずにガブリついて食べました。
   なんという幸せかな~~~~

2018年2月22日木曜日

「神様の目は先をみる」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「神様の目は先をみる」
 
 帰省ラッシュというのに初めて出会いました。ところが、ちょうど方向が反対だったので、ラクラクとそのラッシュを眺めることができました。しかし、久留米あたりから、関門橋を過ぎてなお車の渋滞には驚きました。動いているように見えてノロノロの渋滞なのです。
 
 初めのうちは「これは大変だろうな」という思い。だんだん「かわいそうだな」になって、「トイレはどうするのだろう」と心配になりました。しかしなお車の列は続いている。「子供を乗せている車は大丈夫なのか」と祈りました。
 
 こんなとき、車にすべて無線がついていて、すれ違う車が、前の状況を伝えるようにすればいいのではと思いました。古賀サービスエリアに入るのに、15キロの列と分かれば近くのインターで降りてドライブインを探すでしょうに。また、子供連れならば、途中で降りて休んだほうがどれだけ楽しい旅行になるかしれません。
 
 そう考えながら、神様の目というのはこんなものかもしれないと思いました。その人の人生の先がすべて分かっている。この道を自分の考えだけで進めば、たまにはラッキーなこともあるかもしれないが、たいていは泥沼の渋滞に入り込んでしまうものです。その時、その時に祈りという無線で神様に聞くのが一番いい方法なのです。車の渋滞をながめながらそんな風に思いました。

2018年2月21日水曜日

「約束を信じる」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「約束を信じる」

ルカ 1:45 主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。

この時期になると、サンタクロースはいるかということが話題になります。クリスマスの1日で世界中の子供たちにプレゼントを配るとしたら、1人の子供に要する時間は果てしなく瞬間にちかいという計算をした人もいます。つまり瞬間移動しているから人間の目には見えないというのです。私はサンタクロースがいるかいないかを議論してもしょうがないと思っています。目をつぶってサンタクロースを思い浮かべることができれば、それは存在するという教えの方がロマンチックでいいと思います。つまりその存在を信じる者だけに存在するものがあるのです。

 イエス様の母マリアは、受胎告知を受けたあと親類のエリサベトを訪問します。神様のお告げによって身重になった2人がそこで出会いました。エリサベトはマリアの訪問を喜び「あなたは祝福された方です」と挨拶をしました。その時マリアのことを「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方」と言いました。マリアの「お言葉どおり、この身になりますように」との言葉を受けてのことでした。

教会から30年も離れておられた信徒の葬儀をさせていただいたことがあります。生前にお会いすることはできませんでした。昭和33年に教会で、目が不自由だった石松量蔵牧師より洗礼を受け、神戸ルーテル聖書学校で学び、実家の仕事をされていました。その後何かの事情で教会から離れ、30年後に「葬儀は教会で」という本人の願いで、再び教会へ帰って来られました。ルーテルアワーで教会を知り、石松牧師から「信じる者、愛する者は幸せである」と説かれ、兄は少し意地悪な質問をされました。「あなたは目が見えないのに幸せなのですか」と。すると石松牧師は「私は目が見えないおかげで外見に惑わされる事がありません。私はお互いの心と心で相手を見る事ができます」と答えられたそうです。その言葉に深い感銘を受け、聖書を学び洗礼を受けられたというのです。葬儀のとき、兄の聖書をみせていただきました。赤線がびっしり引いてあり、兄をとらえた聖書の言葉がわりました。聖書には三つの言葉が記されてありました。「謙遜」「わたしたちは、すべてにまさって、神を恐れ、神を愛し、神に信頼しなければならない。ルター」そして、この一語につきると書かれていたものは「ときに患難は苛苦に見ゆるとも、そはあわれみにより、あたえられしものなり」と。

トマスは「その手足に釘跡をみるまでは決して信じない」といいました。しかし、ほんとは、信じたかったのです。ですから、釘跡を見ずに「わが神、わが主よ」と告白しました。すべては信じるための「信じない」だったのでしょう。 エリサベトはマリアの訪問を受け「主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう」といいました。神様は必ずみ言葉どおりに実現される方です。それを信じることが私たちに祝福をもたらします。必ず実現するから信じることもできます。信じる心を育てるには裏切らないことだと思います。

2018年2月20日火曜日

「夢をもつ」

クレヨン牧師のミニエッセイ

「夢をもつ」
 
 たまには、まったく違う世界に足を踏み入れてみるのもいいものです。といっても、それほど踏み入れたわけではありません。むしろしかたなくといった方がいいかもしれません。
 
 8月4日に、広島までミュージカルを観にいってきました。その名もズバリ「サマースペシャル・ミュージカル セーラームーンSs」です。普段ならば母親と行くのですが、あいにく三番目が生まれたばかりなので、私が引率となりました。ところが、一番楽しんだのは私だったかもしれません。なんとCDまで買ってしまいましたから。そのミュージカルを観ながら、どれだけの子供達がこのストーリーを理解しているのかなと疑問に思いました。小さい子供にはちょっと複雑だったかもしれません。一番大切なシーンで、ザワザワしていましたから。もちろん、お決まりの変身と戦いのシーンでは盛り上がってましたけれど。
 
 さて、主人公のセーラームーンが、「夢をなくしてはだめ。夢をなくしたら人は生きていけない」と叫ぶシーンがありました。ポヤ~と観ていた私でも一瞬ハッとしました。「いま自分は夢があるだろうか。夢をなくしていないだろうか。現実の重さに夢を捨ててはいないだろうか」と乗り出してしまいました。子供たちにはセーラームーンが、私には神様が「夢を持つ」ことの大切さを教えてくれました。私の夢は「キリストの福音をあまねく宣べ伝えることです」。

2018年2月19日月曜日

「つながってここにいる」

阿久根ルター君の朝のみ言葉

「つながってここにいる」

ヨハネ15:4 わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。

 ある会議の合間に、幼稚園の園長もしておられる牧師が教えてくださいました。「今日は幼稚園で一日を過ごしました。そこでお誕生日会があり、私はずっと一人の3歳児の手を握っていました。自閉症で多動なのだけど、手をつないでいるとおとなしくして会に参加できるのですよ」と。素敵な話だなと聞いていました。手をつないでいることで、子どもと牧師の間にどんなことがおこっているのでしょうか。「ここに一緒にいようね。ここにいてもいいよ。いることを確かめようね」という会話が聞こえてきました。 ここに共にいてつながっていようね。イエス様もここにおられるよというメッセージが手をつなぐことで伝わっているのだと思います。

ヨハネによる福音書には、「イエス様の決別説教」があります。十字架を目前にして弟子たちにどうしても言い残さなければならない遺言のような説教です。今日のみ言葉はその中でも有名なものです。イエス様は「わたしにつながっていなさい」と言われました。イエス様につながることが信仰の本質です。人につながるのではありません。そのあと「わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない」といわれています。何か成果を出せといわれているわけでなく、つながっていることで実を結ぶといわれたのです。ですからイエス様にまず「つながる」ことが大切です。「つながる」ことで実るものがあります。それはきっと素晴らしいものです。

 世の中には相乗効果といわれるものがあります。その相乗効果という話題で、アメリカでのドイツ車大流行の話をききました。新聞・ニュースでは日本車の売上が伸びているのは事実ですが、ここにきてドイツ車に人気が集まっているというのです。その理由は、新しいタイプのフォルクスワーゲンが発売されたのです。むかし「かぶと虫」と言われていたあの車です。このデザインがかわいいので、みんなが競ってドイツ車の販売店におしかけたのです。しかし、売り切れ。しかたなく他の車でも見て帰ろうか・・が、ほうドイツ車って良いじゃんとなり、他のドイツ車がどんどん売れているのだそうです。宣教の方法もこの相乗効果を考えました。教会へつながるということは、キリストにつながるということです。そのために教会の中にはいっていただけることを考えています。

 私たちはここに「いる」存在です。それは一人ではなく、ここで信仰の交わりをもつ方々と共に「いる」存在です。そしてイエス様とつながってここにいる存在です。そんな私たちですから、誰もかけてはなりません。イエス様につながっていることで一つに「いる」ことを思い、神様の業の実を結んでいきましょう。